四月になれば彼女は / April Come She Will
文藝春秋 2016年
2024年映画化
Outline
「 恋愛小説を書いてみようと思うんです」
『世界から猫が消えたなら』『億男』の二作を書いた後、文藝春秋の担当編集の浅井茉莉子に相談した。
「あー最近、売れないんですよね、恋愛小説」「 恋愛小説を書いてみようと思うんです」
『世界から猫が消えたなら』『億男』の二作を書いた後、文藝春秋の担当編集の浅井茉莉子
に相談した。
「あー最近、売れないんですよね、恋愛小説」
意外な答えが返ってきた。
なぜ? 恋愛小説はベストセラーの定番だったはずなのに。
謎を解くべく、周囲に聞いて回った。
「最近どんな恋愛をしていますか?」
「彼氏とか彼女とかいたことないし、いらない」学生たちが平然と言う。
「結婚どころか、最近は好きな人すらできない」仕事仲間がつぶやく。
「結婚したけれど、愛が情に変わってしまった」先輩たちが苦笑する。
僕の周りから恋愛が消えていた。
書くべきラブストーリーが見当たらず、途方に暮れた。
けれどもある日「この状態をそのまま物語にしたらどうか」と思い至った。
「恋愛がある」ことではなく「恋愛がない」ことを書くのだ。
過去に恋愛をしていた様と、いま恋愛しなくなった様。
同じ人間のふたつの時代を交互に描くことで、その“差分”が恋愛をかたどるのではないかと
仮定した。
どうして、恋愛が消えたのか?
その答えを求めて、結婚後のうつやセックスレスの診療をしている四十代の精神科医のもと
を訪ねた。
「多くの人にとって、恋愛や結婚は非合理的です。お金もかかる、時間もとられる、失恋や
嫉妬で心を乱される」
僕の質問に対して、彼は淡々と答えた。それはまるで診療のようだった。
「現代において恋愛や結婚はデメリットだらけ。だったら、ひとりでいたほうがいい、とな
るわけです」
説得力のある精神科医の言葉に、頷きながらメモを取った。
けれども、どこか違和感があった。
ひと通り話を聞き終えた後、精神科医の診療室を出た。
出口まで見送ってくれた彼に、僕はずっと気になっていたことを訊ねた。
「先生は精神科医として、たくさんの患者を診てこられたと思うのですが、ご自身のことで
悩まれたりしないのでしょうか?」
唐突な問いに、彼は言葉を失った。しばらく考え込むように遠くを見つめたのちに、ささや
くように言った。
「・・・実は今日ここに来る前、妻と離婚するかどうかの話をしていました。もう二年ほど
妻の体に触れていません」
彼は僕に視線を戻し、続けた。
「医者の不養生とはよく言ったもので・・・お酒で失敗している先生がアルコール中毒の患
者を診ていたり、うつ病の担当医が不眠だったりするんです。わたしたちは、自分の問題を
解決したくて医者になったのかもしれないですね・・・」
そう告白すると、彼は恥ずかしそうに微笑んだ。
その日、彼が初めて見せた笑顔だった。
その笑顔を目にしたとき、小説のテーマがくっきりと見えた。
「わたしたちは、自分の問題だけは解決することができない」
他人の問題に対しては、いくらでも正しい答えを提示することができるのに。
四月。
精神科医の男の元に、九年前に別れた初恋の人から手紙が届く。
ウユニ湖から送られたその手紙には、鮮烈な恋の記憶が書かれている。
だがその時、彼は結婚を決めていた。
愛しているのか、わからない人と。
失われた愛をさがす、十二ヶ月が始まる。
意外な答えが返ってきた。
なぜ? 恋愛小説はベストセラーの定番だったはずなのに。
謎を解くべく、周囲に聞いて回った。
「最近どんな恋愛をしていますか?」
「彼氏とか彼女とかいたことないし、いらない」学生たちが平然と言う。
「結婚どころか、最近は好きな人すらできない」仕事仲間がつぶやく。
「結婚したけれど、愛が情に変わってしまった」先輩たちが苦笑する。
僕の周りから恋愛が消えていた。
書くべきラブストーリーが見当たらず、途方に暮れた。
けれどもある日「この状態をそのまま物語にしたらどうか」と思い至った。
「恋愛がある」ことではなく「恋愛がない」ことを書くのだ。
過去に恋愛をしていた様と、いま恋愛しなくなった様。
同じ人間のふたつの時代を交互に描くことで、その“差分”が恋愛をかたどるのではないかと仮定した。
どうして、恋愛が消えたのか?
その答えを求めて、結婚後のうつやセックスレスの診療をしている四十代の精神科医のもとを訪ねた。
「多くの人にとって、恋愛や結婚は非合理的です。お金もかかる、時間もとられる、失恋や嫉妬で心を乱される」
僕の質問に対して、彼は淡々と答えた。それはまるで診療のようだった。
「現代において恋愛や結婚はデメリットだらけ。だったら、ひとりでいたほうがいい、となるわけです」
説得力のある精神科医の言葉に、頷きながらメモを取った。
けれども、どこか違和感があった。
ひと通り話を聞き終えた後、精神科医の診療室を出た。
出口まで見送ってくれた彼に、僕はずっと気になっていたことを訊ねた。
「先生は精神科医として、たくさんの患者を診てこられたと思うのですが、ご自身のことで悩まれたりしないのでしょうか?」
唐突な問いに、彼は言葉を失った。しばらく考え込むように遠くを見つめたのちに、ささやくように言った。
「・・・実は今日ここに来る前、妻と離婚するかどうかの話をしていました。もう二年ほど妻の体に触れていません」
彼は僕に視線を戻し、続けた。
「医者の不養生とはよく言ったもので・・・お酒で失敗している先生がアルコール中毒の患者を診ていたり、うつ病の担当医が不眠だったりするんです。わたしたちは、自分の問題を解決したくて医者になったのかもしれないですね・・・」
そう告白すると、彼は恥ずかしそうに微笑んだ。
その日、彼が初めて見せた笑顔だった。
その笑顔を目にしたとき、小説のテーマがくっきりと見えた。
「わたしたちは、自分の問題だけは解決することができない」
他人の問題に対しては、いくらでも正しい答えを提示することができるのに。
四月。
精神科医の男の元に、九年前に別れた初恋の人から手紙が届く。
ウユニ湖から送られたその手紙には、鮮烈な恋の記憶が書かれている。
だがその時、彼は結婚を決めていた。
愛しているのか、わからない人と。
失われた愛をさがす、十二ヶ月が始まる。
“I’m thinking of writing a romance novel next.”
After publishing two novels, “If Cats Disappeared from the World” and “Million Dollar Man,” I shared my thoughts with Mariko Asai, my editor at Bungeishunju.
To which she replied,
“Oh, they don’t sell well these days, romance novels.”
The answer came as a surprise. Why not? Love stories used to be bestseller staples. To get to the bottom of it all, I started asking around.
“What kind of romance are you having lately?
“I’ve never had a boyfriend or girlfriend, and I don’t want one,” the students said matter-of-factly.
“I’m not even married, I can’t even find someone I like these days,” one of my work colleagues murmured.
“I married after being in love but I feel as if that passion turned into affection for family at this point” many of my older friends chuckled.
It seemed that romance was dead and disappeared all around. I was at a loss – there is no love story to write about.
One day, however, I thought, why don’t I just write a story about this situation? Instead of writing about being in love, I would write about not being in love.
In the way we used to fall in and out of love and also the way we just do neither. By alternately depicting the two, my intention was to draw out the difference between the states and define what romance essentially is.
Why did love disappear?
In search of an answer, I visited a psychiatrist in his forties who treats post-marital depression and sexless couples.
“For many people, love and marriage are irrational. They cost money, take up time, and are disturbed by heartbreak and jealousy.”
He answered my questions in a matter-of-fact manner. It was like a medical diagnosis.
“In this day and age, love and marriage are full of disadvantages. So it is better to be alone.”
I nodded and took notes on the psychiatrist’s persuasive words. However, I felt something strange. After listening to what he had to say, I left the psychiatrist’s office. As he walked me out, I asked him about what bothered me through the session.
“As a psychiatrist, I know you have treated many patients, but do you ever worry about yourself?”
The abrupt question left him speechless. After staring thoughtfully into the distance for a moment, he whispered,
“…Actually, before coming in to work today, my wife and I were talking about whether or not we would get a divorce. I haven’t touched her body in almost two years.”
He looked back at me and continued,
“It’s like the saying goes: Doctors who are failing at drinking are seeing patients who are addicted to alcohol, and doctors who are depressed are insomniacs. Maybe we became doctors to solve our own problems…”
He smiled shyly when he confessed this.
It was the first smile he showed me that day. When I saw that smile, the concept of the novel became clear to me.
We cannot solve our own problems, even if we can give correct answers to other people’s problems as much as we want.
April.
A psychiatrist receives a letter from his first love, with whom he had broken up nine years earlier.
The letter, sent from Lake Uyuni, contains vivid memories of their love.
But he was already set on marrying another person. Even though he was not sure if he loved her or not.
Thus begins the twelve months of searching for what it means to love.